ホテル療養終了
ホテル療養が終わり、自宅に帰る日になりました。
朝からソワソワが止まらずに、即帰宅。
虚言?狂言?として言ったことに対しても嘘をつき続けて妻には「特に問題はなかった」等説明していました。
正直、今考えると退院してすぐもしばらく落ち着かず不安等が強くパニック状態だったと思います。正直何をどう話して伝えたのか今おぼろげにしか思い出せません。
ただただ、心配をしてほしかった。自分が必要か不安だった等。いろんな思いが巡っていたと思います。
結局、全て妻に虚言だったこと、自分の情緒や体調がおかしいことを告げられたのは翌日の朝の事でした。
そこで明らかに自分の感情、行動、言葉の制御が今までと異なっていることに気が付き仕事を休んで心療内科を受診することにしました。
次回に続きます
番外編 妻の手料理
退院後の話はまた次回書きます!
今日は嬉しかったことを一つ。
それは妻の手料理を結婚6年目にしてほぼ初めて?食べられたことです。
妻が先日の土曜日~息子と実家へ遊びに行った際に、息子がお腹を下してしまいました。
なので日曜日帰ってくるはずが、お腹を下しての電車移動は厳しいということとなり月曜日の仕事と保育園を休んで様子を見ながら帰って来ることとなりました。
私は月曜日仕事へ普通に行きました。
息子のお腹の下し具合がわからなかったので、ご飯をどうするか妻に聞くと準備してくれるとのことでした。
普段料理はほぼ100%私作っていますが、今回の育児ノイローゼの事もあり少しずつ任せるようにしようと思ったため言われた通りお任せしました。
すると、なんと、息子に合わせてのメニューででも私の分含めてみんなの分を用意してくれていました!
当たり前と思うかもしれません、ついでだったんでしょと思うかもしれません。
でも私にとっては単純にすごくうれしかったです。
料理作ってた昔から頼んでも「あなたが作った方が美味しいでしょ」と言われ誕生日等特別な時以外は正直どんな忙しい時でも、妻が休みの時でも私が作っていたのでうれしく感じました。
と、今日はそんなことがあったので番外編として書きました!
退院後の話は次回に続きます、、、
ホテルでの隔離療養期間の事
身体の不調を感じたのは自宅での隔離生活を始めてすぐでした。
寝つきが悪い
様々な負の考えが頭をめぐって何事にも集中できない
焦りや不安のような感情が止まらない
単純に体調が悪いから睡眠が浅くなったり、家にこもることが苦手だったためストレスが溜まっているんだろうな程度にしか考えていませんでした。
そしてホテル隔離の日程が決まり、隔離されても症状は治まらず更に心のざわつき、不安、焦りは増していくばかり。
その際の健康観察で脈拍が上がらない(スポーツ心臓が原因であろうと言われたが)ため医師と看護師と少し話をし、隔離期間過ぎてからも体調不良等あれば診察するように勧められました。
しかし、その事実を私はその時、妻に「体調がよくならない」「検査のため入院をしなければいけなくなった」等の虚言で妻を困惑、心配させてしまいました。
なぜわざわざ嘘をついたのか?どういう思いだったのか
正直その時の自分をあまり覚えていないと言うのが事実。
自分の精神がどういう状態だったのか知るまで、自分でも整理できないくらい様々な感情等が自分の中で混濁して整理がつかなくなっていたのです
そして退院後に続きます、、、
SOSのサイン後
自分で出していたSOSサイン
しかしその時は自分の精神的状況など知る由もなく
もっと効率よくして、要領よくやるにはどうすればいいか?
妻が家事に参加するには分担するか?(業務化するか?)等といった考えばかりになり
「楽をする(手を抜く)」ということや「リフレッシュする」などという考えは全く浮かびませんでした
むしろ「手を抜く、妻にお願いする=よくないこと」
という方程式がいつの間にか考えの根底に出来てしまっていたのだと思います。
そんな精神的にも体力的にも追い詰められてきた中で、、、コロナに感染し事件が起きるのでした、、、。
続きます
妻の療養期間とSOSサイン
少し時間を戻しますが、妻が鬱になった期間は家事育児家計管理等すべて私が行いました。
もちろん、妻が体調を戻して大好きなこどもと思い切り遊べるようになるために必要なことであり私もそれを望んでいたので不満等はなく当たり前の事として。
妻がいつか地元に帰って家を建てたいといった資金計画
子どもの学費等の貯蓄や積立
家族の資産運用
妻の体調や子どもに合わせた食事を考えて作る
妻は出来る程度でその他の火事は自分で効率よく回せるように習慣化や管理化
など、今振り返るとこれだけのマルチタスクを抜けなく完璧にやろうとするのはかなり無茶していたなと。
妻がもし元気だったら
こどもにこんな食事作ってあげたかったかな、とか
こんなところに連れてっていたり、休みはこう過ごさせてあげたかったかな、とか
自分が出来ないせいで家事がはかどってないと感じてほしくないな等々
いつの間にか手を抜けなくなり、手を抜くことが申し訳なくなり自分で自分の首を絞めてしまっていたことにも気が付かず
自分の好きなこと、趣味に時間を割くことに「妻はやりたくても出来ないのに」と罪悪感を感じ
こどもと遊んだり大切な二人のためにやっていることだし大好きだからと
リフレッシュやガス抜きでしていた趣味を正当な理由をつけてやらなくし
行動も精神も詰めに詰めてきてしまっていた約一年間でした。
新年度に入り、家事育児等の状況はほぼ変わらないまま仕事が変わり、勤務時間も変わりいろいろと今まで通りでは回すのが困難に感じた頃
職場復帰した妻に一度だけSOSをだしました
「このまま回すのは、正直しんどいしきつい」
妻から帰ってきた返事は「あなたのスピード(家事)ではできない」と返されただけでした。
復帰したて、妻も大変だろうからと私もそこで引き下がり「具体的に何をしてほしいじゃないけれど、今現状そうだということわかっていてほしい」という事だけ伝えてその時は話を終えました。
あれが私の最後の正常なSOSのサインだったんだなと今振り返ると感じました
続きます、、、
変化の兆し
自分の体調の変化に気が付いだしたのは新年度が始まってからでした。
新しい職場、人間関係、こどもたち、生活のリズム等々
一気に変化が来たので最初は慣れないせいだと考えながら徐々に慣れていくだろうと考えて過ごしました
それが自分の体からのSOSサインとも気が付かずに
最初は疲れやすくなったなとか
眠気も増えたなとか
イライラしやすくなったかな
と感じる程度で環境の変化が大きいんだろうと考える程度
仕事や考え方の本などを読み、自分で対策や効率よく行っていく方法などを学びました。
対策を行ったり、考え方を工夫することで少しずつ良い方向へ動いていくのではないか、、、と考えていましたが私の精神や体を蝕んでいたのは「仕事」ではなく「家庭」のこと
そうそう上手くはいかなかったのです、、、
続きます
家族の事 Ⅳ
おはようございます!
新しい職場、環境にバタバタの毎日が始まりました。
妻も前年度の1月から少しずつ仕事復帰をし、フルタイムで復帰をすることに。
ここでそれまでの生活はどんな様子だったかなのですが、基本子どもの送り迎えから身の回りの事、家事全般(料理洗濯掃除その他もろもろ)基本的に私が行ってきました。
妻をうつ状態にしてしまったこと
それによって本来過ごしたかったであろう子どもとの大切な時間を奪ってしまったこと
罪悪感とは少し違いますが、責任を感じ、妻ができるだけ回復に努められるように、調子のよい時は子どもとの時間を十分に過ごせるようにより効率的な方法を考えながら取り組んできました。
もともと家事は嫌いではなく、料理は特に好きなこと。
効率的に物事を進めるにはどうしたらいいかなどの組み立ても嫌いではなく、こどもも大好きなので何とかやっていけると思っていました、、、、が、、、
待っていたのはこどものいやいや期、上手くいかない焦りや苛立ち、いつ抜け出せるかわからない疲労感や不安感など様々なものが少しずつ自分の中に重なってしまっていたことに気が付かずに日々を過ごしていたのでした、、、。
続きます